国際線就航40周年特別企画~進化の舞台裏を支えたキーパーソンに迫る~Vol.7

2026 / 07 / 01
その他

ANAグループは、おかげさまで2026年3月3日に国際線定期便就航40周年を迎えました。

これを記念し、長きにわたり国際線の進化を牽引し、その歴史を支えてきた社員にインタビューを行いました。

第7回目は、人事部長や営業本部長、経営戦略担当等の要職を歴任し、コロナ禍という最大の危機に立ち向かったANAホールディングス片野坂真哉会長にお話をうかがいました。

― 片野坂会長と国際線の関わりは、どのような形で始まったのでしょうか。

私は1979年に入社し、大阪支店からスタートしました。当時の社内報のインタビューで「いつかは国際線、その先は宇宙」と夢を語っていたことを覚えています。セールス時代には、チャーター便によるハワイ旅行の積み立ても売り込んでいました。
その後、1984年に経営管理部(現企画部)に異動しました。当時は「航空憲法」と呼ばれた45・47体制があり、ANAが国際線に進出したいと考えているのは、経営管理部と国際部などの限られた人たちだけという状況でした。最初の仕事は、この体制を打破するために日本貨物航空(NCA)を米国に就航させる日米航空交渉の担当でした。日米航空交渉が上手くいくように、米側交渉責任者のご家族の日本滞在をサポートしたことも良い思い出です。日米貿易摩擦が激しく、NCAの就航は本当に「難産」でしたが、まずは貨物輸送で米国の幕を開け、その次にANAがグアム、ロサンゼルス、ワシントンD.C.に就航し、悲願の国際定期便が実現しました。

大阪支店のセールス時代

― 1986年のグアム初便の日のことは覚えていますか?

鮮明に覚えています。初便就航式典では運輸省の来賓の顔が分かるだろうということから、先輩の四十物さんと2人で受付を担当しました。

実は、内部では国際線の勤務体系をめぐって会社と組合の交渉が続いていて、当日の明け方に無事に合意しました。そんなこともあって、初便のトライスターが飛び立つ姿を見たときは心から安堵しました。

当時、他社は夜中に成田を出るダイヤでしたが、ANAは「昼間に飛ばそう」と目標を設定して就航しました。お客様からも非常に歓迎されたのを覚えています。

グアム初便時の写真

― 国際線拡大の過程で、ANAらしさをどのように打ち出していったのでしょうか。

とにかく「なんでもやる」という精神でした。米国路線のビジネス(C)クラスでは2-2-2の座席配置を採用し、通路に出やすいと好評を得ました。 また、現地のホテルに日本の新聞を配り、ANA特設カウンターを設けてお客様に喜んでいただくなど、地道な工夫を重ねました。 CAたちも一生懸命で、初便でドレッシングを積み忘れたことを悔しくて泣いて帰ってきた、というエピソードも残っています。国際線の機内サービスについては、海外のエアラインにも学ばせていただきながら、謙虚に、かつ貪欲に成長を目指しました。

グアム就航後、私は国際部へ異動しました。出張先のロサンゼルスでは片側5車線の「でかいアメリカ」に圧倒されるとともに、当時のハリウッドに感激したことを覚えています。またアメリカの次は中国ということで、ANAは北京・大連に就航していきます。就航前の中国・厦門には私の後任社長となった、現ANAホールディングス社長の芝田さんと出張したのですが、現地でインタビューを受けた際には、「全日空が厦門への就航に意欲」と報じられてしまったこともありました。

出張先のロサンゼルス・ハリウッドで
大連に到着するトライスター
現ANAHD芝田社長(右)との厦門出張

― 1999年のスターアライアンス加盟も大きな転換点でしたね。

当時社内ではアライアンスへの加盟の是非について激論がありました。最終的に「加盟しなければ真に国際線を担える人材は育たない」という判断で決まりましたが、これは結果的に大成功でした。
ラウンジの共用やお手荷物のスルーチェックイン、そしてダイヤのバンク構造という概念を学んだことは、その後の国際線黒字化への重要な要素となりました。

スターアライアンス各社と

― 黒字化達成まで初就航から18年もかかりましたが、なぜ続けられたのでしょうか。

歴代の社長陣が、誰一人として「国際線をやめよう」と言わなかったことが幸運でした。 私がレベニューマネジメント部長だった時代には、データに基づいた座席管理システム「PROS」を導入しました。成田空港と連携し、ノーショー(予約があるのに現れないお客様)を予測して適切にオーバーブッキングを受け付けることで、搭乗率を60%から75%へ向上させることができました。空港の現場と本社との信頼関係が、黒字化のカギだったのです。

― コロナ禍という未曾有の危機には、どのような想いで向き合われましたか。

私は元来、楽観主義なので、必ず甦ると信じていました。2020年春、誰もいない成田空港を視察した際、不安そうな新入社員を先輩が「SARSの時もお客様は戻ってきたから大丈夫」と励ましている姿には心を打たれました。 係員も感染リスクがある中で頑張っている。だからこそ「雇用は絶対に守る」と決意しました。2年間の一時金ゼロや外部出向など、社員には苦労をかけましたが、みんなが耐えてくれたことに感謝しかありません。
毎月100名を超える外部出向者に向けて、出発式で激励スピーチをさせていただきました。元気に明るく・ノートと鉛筆を持って・そして必ず会社に帰ってきてね、と伝えました。2,300名を超える出向経験者は、今のANAグループの大きな力となっています。

2021年の社内報記事より。
コロナ禍にはたくさんのメッセージを発信し、社員を鼓舞し続けた。

― 最後に社員へのメッセージをお願いします。

ANAグループの70年を超える歴史は、危機とチャンスの繰り返しです。会社は必ず良くなります。国際線が就航し40年となりましたが、海外でANAの機体を見ると今でも感動します。世界中の人々に「やっぱりANAだ」と認めてもらえるよう、ビジョンにもある「ワクワクで満たされた世界」をともに実現していきましょう。 ANA group will grow forever!


ANAグループはこれからも、お客様への深い感謝を胸に刻み、国際線40年の歴史で培った安全と信頼を礎に、世界と日本を力強く結び続けます。

次回の国際線就航40周年記念インタビューも、どうぞお楽しみに!