国際線就航40周年特別企画~進化の舞台裏を支えたキーパーソンに迫る~Vol.8

2026 / 07 / 16
その他

ANAグループは、おかげさまで2026年3月3日に国際線定期便就航40周年を迎えました。これを記念し、長きにわたり国際線の進化を牽引し、その歴史を支えてきた社員にインタビューを行いました。

第8回となる今回は、入社以来40年以上にわたり、航空機の心臓部である「エンジン整備」一筋の道を歩んできたベテラン整備士、太田さんにお話を伺いました。

ANA整備センター 部品事業室 原動機整備部
太田 博道さん

1980年に入社し原動機工場に配属。エンジンの分解作業から組み立て、組み立て後の試運転性能確認業務、完成エンジンの法確認業務のほか、整備課組織のリーダーやエンジン整備実施体制の取りまとめも経験するなど、入社から現在に至るまでエンジン整備部門の第一線で活躍されています。

― はじめに、エンジン整備の世界に飛び込んだきっかけを教えてください。

小さい頃から動く模型を作るのが好きだったということがきっかけのひとつです。祖父におねだりして車や戦車のプラモデルを買ってもらったり、中学・高校時代には特に「飛ぶもの」に興味を持ち、アルバイトをして飛行機のラジコンやワイヤーで操作するUコンを購入したりと、模型作りに没頭していました。

そんな中、育った秋田の空を見上げるといつもANAの飛行機が飛んでいて、自然と「ANA」という存在が刷り込まれていたんですね。たまたま当社の募集を見つけて面接に臨んだ際、飛行機の大きなエンジンを触っている先輩整備士の姿がふと目に留まり、「エンジン整備ってかっこいい」と感じました。ANAが自社でエンジン整備部門を持っていることは入社するまで知らなかったので、「こんな仕事もあるんだ!」と驚いたのを覚えています。

― 入社当時の職場の雰囲気や、今も心に残っている先輩からの学びを教えてください。

入社した頃の職場はエンジン整備に関わる専門性が高く、「良いエンジンを作る」そのスキル継承のための徒弟制度が強く表れている時代でした。当時からお客様の命を預かる仕事であるという強い自負があり、職場の雰囲気は厳格そのもの。特に安全に関わる「やってはいけないこと、危険なこと」に対しては、あの頃も、そして現在に至るまで一切の妥協はありません。

ただ、仕事には厳しくても、人間味に溢れた寛容な先輩ばかりでした。入社1〜2年目の頃、ロッキード L-1011 トライスター(以下 トライスター)のエンジン発電機を交換する作業でのことです。発電機のパイプを外す前に中の残圧を抜く手順があるのですが、私はそれを怠りパイプを外してしまったんです。その瞬間、隣にいた先輩に発電機の中に入っていたオイルを思いきりぶちまけてしまいました。

「必要な手順を怠った。怒られて当然だ」と身構えた私に対し、その先輩は怒るどころか、「みんな失敗はするから気にするな。この経験は自分自身の糧になるから」と優しく諭してくれたんです。この先輩の言葉には感動しましたし、私もこの教えを他の人にも伝えていきたいと感じました。

― 1986年、国際線定期便が就航した当時の現場の雰囲気はいかがでしたか?また印象に残っていることはありますか?

ANAに新たなステージがやってきたことにワクワクを感じつつも、やはり大きな緊張感がありました。「海外への長距離を運航する中で、エンジンの不調を発生させてはならない」と、みんなが今一度気を引き締めていたように思います。万が一不具合が発生した場合でもすぐに修復できるよう体制を整えるなど、職場が一丸となって準備をしていました。

私は国際線定期便初就航に使用された機体、トライスターに装着されていたエンジンの作業に携わり、整備作業工程における手順書(部品取付の手順とその図面)の作成を担当していました。当時は今のようにデジタルマニュアルがありません。拡大したエンジンの写真にトレーシングペーパーを重ね、ボルトなどの部品の向きや位置を、一本一本細いペンでなぞって「どうすれば現場の作業者が絶対に間違えないか」を追求しながら手順書を作成していました。そんな経験もあり、トライスターの退役が決まってからの整備作業には、これまでの自分の仕事を全うできたという特別な印象を持っていますね。

当時、太田さんが作成した手書きの図面

― 国際線ならではの、海外の現場での印象深いエピソードはありますか?

国際線就航まもないボーイング777のエンジンに不具合が発生し、交換のために先輩と北京へ行ったときのことです。あらかじめタイムスケジュールが厳格に組まれており、凄まじいプレッシャーがありました。

作業を進める中、エンジンカバーを固定しているボルトの形状が改修されていることが発覚したんです。私たちは改修前のツールは持参していましたが、その新しいボルトに必要なツールを持っていませんでした。現地でツールを探し回るうちに一時間以上が経ち、工程が遅れていく焦りだけが募りました。

ですが、先輩の機転により、一般ツールの「タガネ」をうまく利用して数十本のボルトをなんとか取り外し、無事にエンジン交換を完了させることができました。「万端に準備したと思ったことでも隙はあるものだ」という大事な教訓を得た経験です。

― 40年以上のキャリアの中で、エンジンの進化をどう感じてこられましたか?

エンジンの整備方式は劇的に変わりました。昔は、一定の時間が経ったらすべてを分解して交換していましたが、現在はモジュール(構成単位)ごとに交換する整備方式に変わり、不具合のある箇所だけを効率的に直せるようになりました。

また、昔なら高温・高圧に耐えられなかった部品が、材質や形状、セラミックコーティング技術、特殊な鋳造方式によって非常にタフになり、格段にエンジンの性能が上がりました。エンジンという大きな塊の形は同じように見えても、中身はだいぶ変わってきているんです。この進化に立ち会える面白さがあるからこそ、これまで興味が尽きなかったのだと思います。

1995年当時、整備を手がけたRB211型エンジンの前で

― 太田さんがエンジン整備の中で一番好きな作業は?

やっぱり試運転の作業ですね。数万点に及ぶ部品をバラバラに分解し、綺麗にし、寸法を測り、再び一つのエンジンへと組み上げる。その組み上がったエンジンを、専用の頑丈な施設にガッチリと固定して、飛行機と同じように最大パワーまで一気に回転させるんです。

推力がどれくらい出ているか、排気温度は正常か、オイルの消費量に異常はないかなど、すべてのデータに問題がないことを確認して、最後に「提供できる確かなエンジン」として合格のハンコを押す。最初の分解のスタートから、最後の仕上げの確認まで自分たちの手で責任を持てることこそが、この工場の魅力であり、整備士としての誇りです。今でも「試運転をやってくれないか」と言われたら、喜んで「やります!」と手を挙げますよ(笑)

バラバラになったエンジンの部品が並べられている

― これからのANAグループの安全を支える後輩たちへ、メッセージをお願いします。

航空機産業は最先端テクノロジーに直接関与できる稀な職場であり、ANAもその代表です。新しい経験は新しい出会いを伴い、新しい気づきと合わせ、ヒントとして生まれてきます。

課題解決で悩みがあっても、まずは基本的なスキルを極めたうえで自らの足元を固め、チャレンジする気概を持ち、決して諦めないことが大事。うまくいかないことでも周囲の皆さんがあなたの頑張りを見ています。そして自ずと手を貸してもらえるのがANAグループの良き組織風土であると思います。

もし失敗をしてしまっても、失敗は正直に伝える。反省する。対応策を考え共有する。

この3つがあれば大丈夫。あとは周りの仲間が必ず助けてくれます。なぜか?みんなが一度は通ってきた道だからです。

ANAグループはこれからも、お客様への深い感謝とともに、40年の歴史と信頼を礎に、安全・安心を第一に、国際線を通じて世界と日本を力強く結び続けます。

次回の国際線就航40周年記念インタビューも、どうぞお楽しみに!

▼国際線就航40周年特設サイト
https://www.ana.co.jp/group/40th-anniversary/
これまでのANAグループ国際線就航40年の歩み、アーカイブ写真や国際線に携わってきたANAグループ社員の想いをインタビュー記事として掲載しています。ぜひご覧ください。