国際線就航40周年特別企画
~進化の舞台裏を支えたキーパーソンに迫る~Vol.5

2026 / 04 / 10
その他

ANAグループは、おかげさまで2026年3月3日に国際線定期便就航40周年を迎えました。これを記念し、長きにわたり国際線の進化を牽引し、その歴史を支えてきた社員にインタビューを行いました。

第5回目は、国際線就航に向けて成田空港支店の管理課で施設の立ち上げや準備を担った軸丸さんをご紹介します。

軸丸 裕典(じくまる ゆうすけ)さん

Q: 入社されてからのご経歴を教えてください。

私は1974年にANAに入社しました。最初の8年間は客室、その後の4年間は整備本部の管理部に所属していました。成田空港支店へ異動になったのは、整備本部に来てちょうど5年目を迎えようとしていた頃です。

正式な発令は1986年3月でしたが、同年3月のグアム線就航に向けた準備で「3月に入ってからでは間に合わない」ということになり、実際には発令のずいぶん前に赴任し成田空港支店での業務をスタートしていました。

その後は人事部や運航本部、ANA大阪空港支店長、新東京空港事業(株)の社長を歴任するなど、いろんな職場を経験しました。ANA成田エアポートサービスでの勤務が最後の職場でした。

Q: 成田空港支店ではどのような業務をされていましたか?

主にグアム線就航に関する業務を担当していました。
「とにかく現地へ行って準備を整えてこい」と送り出されたものの、当時の成田空港は国内線の名古屋便が1日1便あるだけで、スタッフも全員で10名強という非常に小さな組織でした。

何から手をつければいいか、マニュアルも前例もない状態ですから、まずは限られたメンバーで集まって「国際線定期便を飛ばすために、今、何が必要なのか」を一つひとつ洗い出すことから始めました。まさに、国際線定期便という大きなプロジェクトを形にするための「土台作り」に奔走する毎日でしたね。

当時の写真

Q: 当時、国際線就航に対してANA内の様子はいかがでしたか?

正直に申し上げると、当時は「会社全体が盛り上がっていたかといえば・・・・」というのが実感です。

整備本部にいた頃も、3月に国際線が飛ぶことは知っていましたが、皆「あっ、飛ぶんだ」という程度の反応でした。ANA=国内線というイメージしかない時代でしたから、社内(一部の部署を除き)では国際線のイメージがほとんど湧いていませんでした。

だからこそ、成田への発令を受けたときは「なぜ自分なんだ?」と思いましたし、見えない未来に放り出されるような感覚でした。

Q:成田空港での業務において、どのような課題に直面されましたか?

何より「施設がないこと」が最大の課題でした。自前のカウンターすらなく、モバイルカウンター(移動式)でも仕方ない状況でしたがようやく確保できたのは他社の空き時間に借りられる小さなブースだけでした。ANAの拠点も「三角部屋」と呼ばれる南ウイング3階の数十m2のスペースしかありませんでした。そんな状況の中、国際線を飛ばすための場所をゼロから整えるのは本当に苦労しました。

当時はとにかく「やるしかない」と必死でしたが、周囲の支えが大きな助けとなりました。空港公団をはじめとする関係省庁、外航の方々が国際線のノウハウを惜しみなく教えてくださり、地域の方々からも多くの支援をいただきました。こうした周囲の温かさに触れるたびに前向きな気持ちになれ、最後まで踏ん張ることができたのだと思います。

Q: 1986年3月3日、国際線初便を見送った時の想いを教えてください。

とにかく、ほっとしたのを覚えています。もちろん嬉しさもありましたが、それ以上に、無事に飛ばせたことへの安堵感が大きかったです。
というのも、当日の出発直前まで、私たちは33番ゲートにつきっきりで忙しく、お客様を歓迎する初便フライトのアーチを設置したり、テープカットを準備したりと、セレモニー準備だけで手一杯でした。社長をはじめ多くの役員がいらしていましたが、そちらの対応ができないほど忙しかったのを覚えています。そんな状況で、初便が定刻で出発したときは感無量でした。

グアム線就航時の写真

Q: その後、ロサンゼルスやワシントンに路線を拡大した際も苦労されましたか?

グアム線の時と同じく、やはり施設面での課題が大きかったですね。ただ大きく違うのは、機材がボーイング747になり、ファーストクラスも導入されるなどサービスの質が格段と違っており、それに伴う施設準備は、急務でした。

特に困ったのがラウンジです。グアム線の際にも一応は用意していましたが、非常に小さなスペースで、ファーストクラスやビジネスクラスのお客様をお迎えするには全く不十分でした。そこで、現在のJカウンターの上にあった施設を空けてもらい、そこに急ピッチで内装を仕上げて、7月のロス就航ギリギリでなんとか新しいラウンジを完成させました。

また、組織も急拡大しており、事務所として使っていた「三角部屋」などのスペースには人員が入りきらなくなっていました。そのため、ロス就航の前夜である7月15日の夜中に、管理課などを中央棟の5階へ引っ越しをしました。空いた三角部屋は、次々と増えていく旅客スタッフたちの拠点として活用することにしました。
また、客室乗務員の待機場所がなく、現在のスカイセンター辺りに突貫工事でN1ビル(成田1号館)を建てたのも大きなイベントでした。

Q:これからのANAグループを支える社員たちへ、メッセージをお願いいたします。

社員の皆さんに一番伝えたいのは、「ANAだけでは成り立たない」ということです。特に成田空港は地域密着の空港であり、グループ会社や協力会社、そして地域の皆様との強い結びつきがあって初めて成り立っています。

私たちが国際線定期便就航に向けて動き出した当時、成田地域の方々は「何かあれば言ってください」と、右も左も分からない私たちを本当に温かく支援してくださいました。これがなかったら今のANAは成り立たなかったとさえ思っています。成田空港がさらに発展していく中で、この「地域に支えられている」という感謝を絶対に忘れないでください。グループの結束と地域との絆を大切に、これからの国際線をどうしていくべきか、常に考え、挑戦し続けていくことを心から願っています。

(左から)
ANA成田エアポートサービス河野さん、今回インタビューした軸丸さん
ANA成田エアポートサービス片岡さん、石橋さん

ANAグループはこれからも、お客様への深い感謝を胸に刻み、国際線40年の歴史で培った安全と信頼を礎に、世界と日本を力強く結び続けます。

次回の国際線就航40周年記念インタビューも、どうぞお楽しみに!

▼国際線就航40周年特設サイト
https://www.ana.co.jp/group/40th-anniversary/
これまでのANAグループ国際線就航40年の歩み、アーカイブ写真や国際線に携わってきたANAグループ社員の想いをインタビュー記事として掲載しています。
ぜひご覧ください。