国際線就航40周年特別企画
~進化の舞台裏を支えたキーパーソンに迫る~
Vol.4 前編
ANAグループは、おかげさまで2026年3月3日に国際線定期便就航40周年を迎えました。これを記念し、長きにわたり国際線の進化を牽引し、その歴史を支えてきた社員にインタビューを行いました。
第4回となる今回は、国際線黎明期から客室乗務員(以下、CA)として活躍し、令和7年春の褒章でCAとして業界で初めて「黄綬褒章」を受章した村松絵里子さんと恒川久美さんにフォーカスします。前編では、お客様とのエピソードやCAとして大切にしてきた想いを聞きました。

村松 絵里子さん
1987年にANAへ入社。客室乗務員として現場の声を積極的に発信し、国際線サービスの品質向上、グローバルカスタマー対応力の強化に大きく貢献しました。客室センターの副センター長を歴任し、現在はANA総合研究所にて次世代育成に励んでいます。その功績から国土交通大臣表彰も受章。周囲に良い影響を与える模範として、航空業界内外で幅広く活躍されています。

恒川 久美さん
1988年にANAへ入社。客室乗務員として国際線の発展を支え、エアーニッポン*や現在のPeach Aviationの創業期に深く携わりました。その卓越した指導力と誠実な人柄で、LCCの基盤構築やグループ全体の品質向上に大きく貢献。平成29年には国土交通大臣表彰を受章しました。現在はANA総合研究所の主席研究員として、豊富な経験を次世代へ繋ぐ産学連携事業に尽力されています。
*エアーニッポン・・・1974年~2012年まで地方空港や離島を結ぶ運航を担い、ANAグループの路線網を支えた。
Q: はじめに、お二人の入社年と国際線との関わりについて教えてください。
村松:私は1987年に入社し、国内線を経験した後、1989年から国際線に乗務することになりました。国内線に比べて国際線は覚えることが多いので、CAの先輩方にみっちり指導いただいたことを覚えています。


(右)スカーフを初めて取り入れたデザインは芦田 淳氏によるもの
ブラウス、スカーフ、コートともに3色展開
恒川:入社したのは国際線の定期運航が始まって3年目の1988年です。念願の国際線に配属され、CAとしてグアム、シドニー、北京、香港、ワシントンD.C.など、世界各国を飛び回っていました。


(右)ANA初の国際線定期便 東京/グアム線でも活躍した
「ロッキード L-1011 トライスター」のUpper Floor Galleyでの一枚
Q: 1986年に国際線定期便が就航してから、グアム、ロサンゼルス、ワシントンD.C.を皮切りに、北京、香港、シドニー、ロンドン、パリ、ニューヨークなど1990年代にかけて就航路線の拡大が続きましたが、当時の熱気をどう感じていましたか。
恒川:毎月のように新路線が始まるのでそれはもうワクワクしていました!
村松:会社全体が盛り上がっていて、あの時の熱気は本当にすごかったですね!
恒川:当時は成田空港でブリーフィング(フライト前の打ち合わせ)を終えるとバスに乗ってターミナルに向かっていたのですが、新路線のフライト前はバスに乗り込む際に「ロッキーのテーマ」が流れるんですよ(笑)。
村松:懐かしい~!
恒川:「いってらっしゃい!」って会社の皆が手を振って見送ってくれましたね。

Q: お二人は国際線の乗務にどのような想いで向き合っていたのでしょうか。
恒川:本当は余裕を持っておもてなしをしたいけれど、就航してからの数年間は、目の前の仕事で手一杯というのが現実でした。本当にすべてが手探り状態でしたからね。
村松:毎便とにかく必死だったことを思い出します。
恒川:マニュアルはあってもその時々で考えて判断しなければならない場面が多く、「ANAらしいサービスとは?」を皆で模索していたように思います。同時に、正解が分からない中でも自分たちなりに考えてトライしていく面白さがありましたよね。
村松:そうそう!皆で力を合わせてつくり上げていく一体感がありましたね。
恒川:チーフパーサー(フライト全体の責任者)が変わればフライトの色も変わるので、毎便同じことをやっているようで全然違うんですよね。一つひとつの現場で学んだことを大切にして次に活かしていく、その繰り返しでしたね。
村松:「こういうやり方もあるのか!」と他のCAから学ぶことも多くて、気づいたことは何でもメモするようにしていました。当時はインターネットがなく地上との連絡も現在のようにスムーズにはとれません。ドアが閉まった後は何が起きても自力で解決しなければいけないので、その場のひらめきやアイデアを大切にしていましたね。
恒川:「この輪ゴム、いざという時に使えそう!」といった感じであらゆるアイテムを大事に取っておいた記憶があります(笑)。そういった環境だったからこそ、何か起きても機転を利かせて解決しようする力が身についたように思います。
村松:たとえ失敗してもフォローしてくれる仲間や先輩がいたから心強かったですね。

恒川:どんなことも広い心で受け止めてくれましたね。私は臆せず意見するタイプなので「ほとんどのお客様が眠っていらっしゃるのになぜ客室の照明をつけたままにするのですか?」なんてしょっちゅう問題提起していたのですが(笑)、「確かにそういう考え方もできるね、じゃあこうするのはどう?」と真剣に向き合ってくれました。CAを含め、会社の皆が国際線の成功を願って前向きに取り組んでいましたね。
村松:国際線をよく利用されるお客様に、他の航空会社のサービスについて教えていただくこともありました。お客様に育てていただいた部分はすごく大きいと思います。
恒川:おっしゃる通りですね。国際線の就航が始まってしばらくは「前回搭乗した時はここまでやってくれたのに今回は違った」などのお叱りを多く頂戴しましたが、そうしたお声の一つひとつが改善のきっかけになっていました。全てのお客様に感謝しています。

Q: 印象に残っているお客様とのエピソードを教えてください。
恒川:ある時ビジネスクラスのお客様から、お食事の最後にお出ししたチョコレートを「もう1個もらえない?」とお願いされました。どうしようかと迷いつつ、余りがあったのでご提供しようと思ったのですが、ただお渡しするのは味気ない。そこでドイリー(敷物)に載せて、先ほどとは雰囲気を変えてご提供しようと考えました。
早速チーフパーサーに相談すると「だったらファーストクラスのチョコレートを持っていきなさい」と言ってくれたんです。本来ファーストクラスのものをビジネスクラスでお出しするのはNGなのですが、反対するどころか「あなたの心意気、買ったわ!」と後押ししてくれて嬉しかったですね。お客様もとても喜んでくださいました。
村松:素敵なエピソード!確かに、袋のままご提供してもよいおつまみを小さな器に入れ直してお出しするとか、ちょっとした工夫を皆がやっていましたね。
恒川:「それいいね!」と懐の深い先輩たちが提案を受け入れてくれて、お客様も喜んでくださるとすごくモチベーションが上がりますよね。
村松:そうなんですよね。マニュアルを守りつつもCA一人ひとりに裁量があることがANAらしいおもてなしの実践に結びついていたのではないでしょうか。

更なるサービス品質の強化を目指して
当時すでにファーストクラスの資格を持っていた恒川さんも訓練に参加しました。
Q: 判断に迷った時はどんなことを拠り所にしていましたか?
村松:主語を「私」ではなく「お客様」にして考えることを心がけていました。できるかできないか、やるべきかやらないべきかではなく、自分たちの行動によってお客様がどう感じるかをお客様の視点に立って考えることがベストな答えにつながると思っています。
恒川:すごく共感します。一つとして同じ現場はないからこそ、その時々の状況に応じて適切な判断をすることが求められます。その中心にいるのはどんな時も「お客様」。たとえばエコノミークラスの食事の配膳も、当初はすごく悩みましたよね。
村松:あれは紆余曲折ありました!毎回前方の席の方からお配りしていたけれど、後方にいくにつれてビーフorフィッシュの選択肢がなくなってしまうこともあります。1食目は前方から、2食目は後方から配膳するのはどうかなど、いろいろなアイデアを検討したんですよね。
恒川:初めの10年ほどは試行錯誤の連続でしたが、あの時間があったからこそANAならではのサービスを模索し、自分たちらしいスタイルを確立できたのだと思います。
村松:私たちは、マニュアルを超えたサプライズをご提供することを「ANA’s Magic」と呼び、会社として推奨していますが、この言葉ができる前からCA一人ひとりが「お客様のために」と心を尽くしてきたこと、その一員になれたことは私たちの誇りですね。

お客様の目の前で前菜を盛り付けるトローリーサービスの様子
Q: お二人にとってCAの醍醐味とは何ですか?
村松:お客様の笑顔やリアクションはCAにとっての“ご褒美”ではないでしょうか。
恒川:まさに!自分たちの働きかけによってお客様の表情がぱっと明るくなると、言葉にできないほどの喜びがあります。
村松:お客様がいるからこそもっと頑張ろうと思えますし、お客様のために仲間と一丸となれるのもこの仕事の醍醐味ですね。
恒川:乗務中にどんどん呼吸が合ってチームワークが良くなっていくと達成感がありますよね。素晴らしい仲間とお客様との出会いは、CAにとっての宝物です。


後編では、お二人が携わった「ANA’s Magic」プロジェクトの舞台裏や、CAを経てどのようなキャリアを歩んできたのか、ANAグループへの想いを伺いました。お楽しみに!