国際線就航40周年特別企画 
~進化の舞台裏を支えたキーパーソンに迫る~Vol.2

2026 / 03 / 13
その他

ANAグループは、おかげさまで2026年3月3日に国際線定期便就航40周年を迎えました。
これを記念し、長きにわたり国際線の進化を牽引し、その歴史を支えてきた社員にインタビューを行いました。

第2回となる今回は、2001年から2005年まで、ANA社長を務めた大橋洋治さん(現:ANAホールディングス名誉顧問)です。
大橋さんは、徹底した現場主義で「お客様に一番近いところに答えがある」との考えから、各地の空港や整備場を精力的に回り、社長在任期間には約6,000名もの社員とタウンミーティングを行うなど、社員一人ひとりと対話を重ねる人間味のある経営を貫いた方です。
「空のシルクロードをつくる、いつかは宇宙へ」の信念のもと、「攻めの経営」で、ANAを真のグローバル・エアラインへと押し上げました。
ANAの国際線進出の歴史とともにそのキャリアを歩んだ、大橋さんに迫ります。

大橋洋治さん(2026年2月取材時)

Q ANAが国際線就航を果たしてまもない頃にANA成田空港支店長を経験されました。当時のことを教えてください。

A 私が支店長として成田空港に着任したのは1993年でした。プレハブ小屋のようなオフィスからスタートしたANAの国際線は、当時まだまだ知名度も低く、ともに働く社員たちと悔しい想いをしたこともありました。
そのようななかでも、大きな支えとなってくださったのが、成田の地域の方々でした。特に、成田山参道のお店のおかみさんたちが応援してくれた。その恩は今でも決して忘れません。もう感謝、感謝しかありません。

成田地区の社員運動会では『騎馬』として笑顔で参戦。社員や関係者との交流を大切にした。
支えてくださった成田山参道のおかみさん達との交流は今でも続く。
写真は、大橋さん(前列中央)の成田の次の赴任先ニューヨークまで駆けつけてくださった際の1枚。

Q その後、ニューヨーク支店長・人事勤労本部長・販売本部長などを経て、2001年に社長に就任されました。

A 2001年に社長に就任した直後、9.11世界同時多発テロが発生しました 。この日は実は秘書(当時)の誕生日。中国出張から帰国した矢先に事態の知らせを受け、慌ててテレビをつけたことを覚えています。この年は、JAL・JAS統合もありました。
当時の国際線ですが、1986年の就航以来ずっと赤字続きな状況に追い打ちをかけるような世界情勢の激変でさらに赤字が拡大、社内でも「国際線は撤退し、国内線に集中すべき」との意見も根強くありました。
しかし、私は「国際線は何があっても絶対に辞めない」との信念を持ち続けました。「航空会社としての存在価値を示していくためには、国際線以外に将来生きる道はない」と思ったのです。国際線は、その国の将来にも関わるという自負もありました。
断固として撤退を拒み、不退転の決意で挑み続けた結果、2005年3月期に念願の国際線黒字化を達成しました。

社長就任当時の大橋さん(左)。在任期間には社員との対話を重んじ、各地でタウンミーティングを実施した(右)。

Q 2005年3月期に経験した初の「国際線黒字化」、どんなお気持ちでしたか。

A 嬉しかったですね。大いに喜びました。しかし、考えてみれば当たり前であるべきことです。黒字化への道のりでは、あらゆる戦略を講じましたが、当時も今も一番大事なことは「絶対に事故だけは起こしてはいけない」ということです。黒字化を急ぐあまり安全がおろそかになることだけは絶対に許されない、と社員に説き続けました。

Q 2026年3月3日に国際線就航40周年という節目を迎えました。次世代の社員へひとことお願いします。

A 実は3月3日は、偶然にも私の妻の誕生日でもあるんです。個人的にも記念日です(笑)。
無事に国際線就航40周年を迎えられたのは、これまで支えてくださった皆様のおかげです。本当にありがとうございました。

40周年の感謝を込めた成田空港での記念式典の様子。詳細はこちら
取材したANA成田エアポートサービスの社員らとともに、当時を振り返る大橋さん(左)。

ANAグループはこれからも、お客様への深い感謝を胸に刻み、国際線40年の歴史で培った安全と信頼を礎に、世界と日本を力強く結び続けます。

次回の国際線就航40周年記念インタビューも、どうぞお楽しみに!